第1話「姫の来訪」

それはまさしく魔法の様に。

少女が知らない春がそこにはあった。

吹き抜ける春風が魔法雑貨店の看板を揺らし、街中に花の香りが溢れかえる。

この地に人が集まるのは毎年決まってこんな季節だ。

行き交う雑踏、八方の店から聞こえる売り文句。

街の名は学術都市アーデルク。

頂点が霞むほどの巨大な魔樹の麓に広がる、この世界の中心に位置する街である。

石畳からは大小様々な建物が生え、たくさんの店先に並ぶ商品と、あらゆる形の屋根達が雑多でありながらも趣き深い。

この賑やかな街には、例年春になると大陸各地から、街の象徴でもある魔法学園に入学するべく若者達が集まってくる。

そして、そんな春の喧騒の中、街角で車輪の付いた大きな旅行鞄を引きずる少女がいた。

頭の高い位置で装飾品よろしく編み込まれた日に透ける金の髪と、輝く金色の瞳。

地味な色使いながらも上品な旅行服に包まれた小さく、か細い体躯は店先に並ぶ人形を連想させる。

少女の名はリファリエール。

リファリエールもまた、魔法学園に通う為に魔導機関車に乗り、遥々この地を訪れた若き魔術士見習いの1人であった。

少女は手描きの地図を睨みながら、覚束ない足取りで歩を進める。

「確かこの辺りのはず……あっ!」

人の群れの隙間から一瞬見えたそれを、リファリエールの瞳は捉えた。

『グラヴァーレ』

一軒の飲食店の看板に踊る、愉快そうな字体の文字列。

ようやく見付けた。

リファリエールはその店の扉に駆け寄るのであった。

太陽と天を廻る青い”星”が南中する頃。

春の風が心地良く、街の活気は忙しなくも楽しげなものに感じられた。

窓から表の通りを見下ろせば、本来は夜にのみ輝く筈の魔力灯の青白い光が至る所で来訪者をもてなしている。

「そっか……入学の時期か」

出窓に腰掛け、外の騒がしさに不意に呟いたのは年頃の少女。

名をミージュという。

側頭部から生えるよく手入れされた黒褐色の二本の角に、やや癖のある肩に掛かるほどの夕陽色の髪。それと同じく夕焼け空の瞳。

腰からは髪よりくすんだ色の、美しい毛並みの尻尾が垂れている。

彼女の容姿は人間と呼ばれる種族にも似た姿であるが、違いもまた多い。

春先にしてはやや寒そうに見える腹部を露出した着こなしは、この街の少女達の間の流行であり、尻尾の先に嵌められた装飾からも、この少女の美意識の高さが伺える。

美しい尻尾をゆるりと揺らしながら、ミージュは人が行き交う窓の外を再び見渡す。

自室の窓から見える楽しげな景色は得も言えぬ期待感を煽る。


しかし、それはまたミージュにとっての日常でもあった。

生まれてから十三年と少し、商店街の大通りに面した人気飲食店を自宅として育った彼女には、この喧騒は慣れたものである。

だからこそ、ミージュは部屋の中に向き直り、背中の楽しげな窓に何気なく告げる。

「まぁ、私には関係ないけどね」

そんな事よりも間もなく昼食時、今日も店は忙しくなるだろう。

腹を空かせ、やがて入り来る外の喧騒を迎え撃つ為、橙の髪の看板娘は深呼吸。

部屋を後にし、身なりを整えながら階段を下る。

しかし。

「閉店、閉店〜」

ミージュの足は、自室のすぐ下、二階の居間で止まる事となった。

丁度、一階の店舗から階段を上って来た店主、もとい父親のおどけた声が居間に響いたからである。

仕事を終えた店主は頭に巻いた柄物の布を解き、橙の髪を外気に晒す。

壁沿いにしつらえた長椅子に機嫌良さげに腰掛け、一息。

父の決まり切った習慣を見届けると、ミージュは疑問を投げた。

「お昼時だよ?もうお店閉めちゃうの?」

「あれ?言ってなかったか?」

わざとらしく神妙な面持ちを作った父を横目に、ミージュも食卓用の椅子に腰掛けた。

いや、何も聞いてないけど……どうしたの?」

ミージュの問いかけに父は不敵な笑みを浮かべる。

「今日はお姫様がくるんだよ」

「は?」

突拍子もない父の言葉に、ミージュは気の抜けた声を漏らす他になかった。

「お姫様って……どうしちゃったのお父さん?」

「どうって言葉通りだよ。今日からお姫様がこの家に来る」

ますます分からなくなった。

お姫様という言葉が意味する所は勿論、それ以前の何から何までの事情が丸切り見えない。

「とりあえず、いろいろな話は置いておくよ。で、誰が来るの?」

しかし、ミージュは努めて冷静に話を聞く事にした。

元より理路整然と話をする父ではない事は重々承知であったからだ。

「ほら、学生だよ。ティリスヴァーナ魔法学園の」

魔法学園の名前は聞き慣れたものである。

ティリスヴァーナ魔法学園。

この街に住む者でその名を知らぬ者はいない。

この部屋の窓からも見える、一際巨大な魔樹に建つその学舎は、大陸全土で初の教育機関であり唯一の学校。

みさえすれば、国籍も身分も全て関係なく、教養を身に付けられる場所であり、この賑やかな街が学術都市の名を冠する理由であった。

「ほらって言われても……まさか、今日からそのお姫様が勉強の為にこの家で暮らすとか?」

ありえない話である。

「さすが俺の娘だな!飲み込みが早い」

「まだ飲み込んでないって!」

わず立ち上がって叫ぶ。

あり得た。まさかの正答に、ミージュはこれ以上冷静を装う事を辞めた。

いつも通り、店の手伝いに意気込んだ矢先に訪れた、これまでの日常の崩壊。

冗談だよね……?」

「本当だよ。なんだ、嫌なのか?仲良くしてくれなきゃ、父さん困っちまうな」

これまた一段ととぼけた父の笑い混じりの声に、ミージュは力無く腰掛け直す。

どうやら、この無茶な話は父の中では既定であり、周囲はもはや呆れ返る事しか許されない事を、実の娘であるという経験則からミージュは悟った。

ああもう!そういう問題じゃなくてさ……相談するとかさ!というか、お母さんはこの事知ってるの?」

「ごめんね。お母さんも聞いたのは一昨日の晩なの。準備で忙しくて話すのを忘れてたわ」

見計らった様に階段を上がってきた静かな声に父娘は顔を向ける。

店作業を終え、束ねた橙の長髪を下ろす母。

その所作は、どこか仕事終わりの父の習慣に似ている様な気がしたが、今はそれどころではない。

「ほら、これ」

母親が差し出した一枚の封筒をミージュは無造作に受け取る。

そして、その紙の触り慣れない質感に意図せず背筋が伸びた。

中には数枚の便箋と、紙面に流れる生真面目な筆致。

ミージュはその美しい文字列に視線を這わせてみるが。

「なにこれ、外国語?」

使われている文字こそ、馴染みのあるものであったが、単語も文法も見慣れない。

たして、ミージュは手紙の内容を読み取る事は出来なかった。

「ロニクシア語よ。差出人はそのお姫様のお父上」

外国語の手紙、家に新たな住人がやって来るというのは事実である様だった。

もあれ、淡々とした母の声からは疲れが感じられ、母もはちゃめちゃな父の被害者だと知ると、何かを言おうとは思えなかった。

ミージュは仕方ないとばかりに、溜息をつきながら父に向き直る。

「まったく……それでお父さん、そのお姫様ってどんな人なの?」

「お前より一つ年下の女の子で、人間……いや、人間と魔族のハーフだよ」

歳が近い事は喜ぶべきか嘆くべきか。

魔族と人間のハーフという種族には何も思うところはない。

特に珍しくもないばかりか、他種族の自分からすれば、これら二つの種族を一目で見分ける事すら難しい。

そもそも、あらゆる種族が入り乱れるこの街では、そんな事は人物の特徴足り得ない。

「年下なんだ。で、他には?」

「いや、だからお姫様だよ」

「女の子が来るのは分かったから。まさか、他には何も知らないなんて事……」

この期に及んで、冗談を交える父にミージュは辟易するばかりである。

突拍子のない話だけでも大概疲れているのに、もはや無意味な冗談にまで付き合う気力はなかった。

「本当なのよミージュ」

段々と苛立ち始めた娘を見兼ねて母が口を挟む。

本当?何が。

「その手紙の、封蝋をよく見てみて」

黙って開いたままだった封筒を一度閉じ、紙に張り付いた紅蓮の蝋を確認する。

見た者に畏怖の念を刻み付けんばかりに優美かつ力強い、一対の翼竜。

固まりきった封蝋に押されたその印璽は、決して親しみを感じる紋章ではなかったが、どこかで、確実に見た事がある気がした。

「たしか、これって……」

紋章の竜と目が合い、寒気のする様な予感が確信に変わりながら背筋を登って来るのをミージュは感じた。

「ロニクシア王家の紋章よ」

母の言葉に目眩がする。

「本当のお姫様……?」

「さっきから、お父さんだってそう言ってるじゃないか」

やれやれとでも言いたげな父親の表情に少し腹の立ったミージュであったが、それどころではない。

「お姫様って、ロニクシア王国の!?」

「だから、そうだって」

ロニクシア王国。

この世界で最も強大な国家の一つである。

大陸の中央から南西に掛けた広大な領土を支配する無敗の王国。

この世界に生まれついた者が知らぬ筈のない国であった。

その王家など、一般市民として生きている者達にとっては存在の現実味すらないものであった。

無論、普通の子であると自負するミージュにとってもそうである。

「なんで!?」

ミージュは再び立ち上がって叫ぶ。

その質問はもはや経緯や理屈を問うものではなかった。

口をついて出た、非現実への疑問。

「いやぁ……話してなかったか。別に隠すつもりはなかったんだけどな、旧い友達の娘だよ」

国王の次男の娘で云々、と父の話は機嫌よく続いていた様であったが、あとは耳をすり抜けていくだけであった。

呆然。

立ち尽くしたまま、ミージュが黙って部屋を見渡してみると、確かにかつてないほどに部屋が綺麗に整えられている様であった。

父が脱ぎ置いた服の一着もなく、ほんの僅かな埃も見当たらない。

しまいには棚の上には普段飾らないような花まで置かれている始末である。

間も無く訪れるであろう、大国の王女との生活。

お姫様などという、物語の住人の様な人物との交流。

これはこの街で生まれ育った少女が十三年と少し生きてきた中で最大の衝撃であった。

「はぁ……ちょっと外の空気吸ってくる」

ミージュは何度目かの溜息を吐き、部屋を後にした。

様々な店が建ち並ぶ大通りにその建物はある。

赤茶のレンガ造りの三階建て。

飾り窓と屋外に備え付けられた螺旋階段、そしてやや開けた軒先に並ぶテーブルと建物の正面に構えられた看板がありふれた色目の壁と屋根に趣を添える。

「駆け寄ったはいいけど……お店?」

リファリエールは何度も手元の地図と店の看板を見比べては首を傾げる。

「やっぱりここだよね。でも家じゃないし……」

一階が店舗、上階が生活空間という建物は特段珍しくもない。

しかし、生まれてこの方お城暮らしの少女にはすぐに合点がいかない様であった。

しばらく店先に佇んでいると扉の開く音が聞こえた。

リファリエールは左右に金の瞳を泳がした後にようやく気付く。

開いたのは螺旋階段に繋がる建物の側面、二階部分にあるドアであった。

扉が開かれたという事は直接にしろ魔術にしろ当然開いた者がいるわけで、リファリエールは何の気なしにその人物に視線を向ける。

店の看板娘だろうか、建物の中から出て来たのは一人の女の子だった。

リファリエールは少女の居る方へ向き直る。

角と尻尾を持つ事を除けば、人間と魔族のハーフである自身とほど近い姿、やや垢抜けた雰囲気を纏ってはいるが、種族差を考慮すれば年齢もさほど変わらないだろう。

そんな彼女はリファリエールにとって知らない土地で道を聞くのには話しかけやすい相手に思えた。

場所を尋ねようと前髪を整えていると看板娘と思しき少女が振り返り、そのまま二人の視線は交わる。

「ごめんなさい、今日はもう閉店なの」

リファリエールが口を開くよりも先に少女は階段の手摺から身を乗り出してそう告げる。

「あ、えっと……そうではなくて。すこし道をお尋ねしたいのですが」

話し掛けようとした矢先に声を掛けられた故、やや歯切れが悪い応答ではあったがリファリエールは用件を伝えた。

「道?それなら任せて!どれどれ……」

少女は快く返事をすると、そのまま乗り出していた手摺に片手をついて飛び越える。

すなわち二階から飛び降りたのだ。

「わぁっ!?」

あまりに自然な所作で飛び上がる少女に一瞬遅れてリファリエールは驚きの声をあげる。

「ん?どうしたの?」

しかしリファリエールの目の前に軽々と着地した少女は至って変わらぬ調子だ。

「いえ、あんな高い所から飛び降りちゃうから……大丈夫ですか?」

「全然大丈夫だけど……ごめんね、びっくりさせちゃった?」

どうやら角と尻尾を持つこの少女にとっては、二階から飛び降りる事は少しの段差を飛び越える事と変わらないらしい。

この世界では多種多様な種族が親密で友好的な関係を築いて久しいが、種族の差というものは非常に大きく、体格や身体的な特徴、運動能力に特殊能力、生まれ持った魔力の大小。

挙げ連ねればきりがない程に沢山の違いがそれぞれの種族の間に横たわる。

「驚きましたけれど……大丈夫な様でなによりです」

「心配ありがとう。でも私、獣人だし普段からこんなもんだよ。今のはちょっとお行儀悪いけど」

少女は爽やかな笑みを見せつつ、腰から垂れた新品の絵筆の様な尻尾を振って見せた。

獣人。その先祖である獣の能力を色濃く残した数多くの種族がそう呼ばれ、そう名乗る。

その姿や能力は種によって千差万別ではあるが、この少女のように人間や魔族と呼ばれる種族と比べて優れた筋力や頑強な肉体を持つ者も多い。

「さておき……道だよね?どこに行きたいの?」

閑話休題と言わんばかりに一度手を叩くと少女は問い返した。

「このお宅に伺いたいんですけれど……地図ではこの場所の筈なんです」

リファリエールは、少女に持っていた地図を手渡した。「ええと……ん?」

手書きの地図に記された文字を読んだ少女は顔を上げ、リファリエールの衣服や持ち物をまじまじと見つめる。

「あっ!!!」

「!?」

突然の大声に驚いたリファリエールは肩を跳ねさせた。

「もしかしてあなたお姫様!?」

「え、ええと……はい、一応」

滅多にないような少女の質問にリファリエールは滅多にないような回答を返す。

「あー、どうしよう!どうしよう!とりあえず……」

慌てたように周囲を見回したかと思うと、少女は自身の身なりを整え、咳払いをした。

「初めまして、ミージュ・ルッコ・グラヴァーレです。これからよろしくお願いします、お姫様」

かくして二人の少女は出会ったのであった。